第2828回 Generating Efficiency
February 29, 2012 § Leave a comment
311までは、あらゆる発電の中で最も安価な発電だと言われた原子力
それが嘘だというのは昔から識者の中では常識であったが
結論から言うと
原子力発電は、それにより生起する高レベル放射性廃棄物を永久に冷やし続けなければいけないため
その発電効率は「マイナス」である
しかも天文学的なレベルでのマイナスである
未来永劫、廃棄物を一定の温度に保たなければいけない
当然そのエネルギーは電気もしくは有償の資源が使用される
作った電力の何万何百万何千万以上のエネルギーが未来に渡って必要になる発電
それが原子力発電である
第2827回 Atomic Wounds
February 28, 2012 § Leave a comment
映画「核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝」(2006年)
監督/脚本/撮影/録音:マーク・プティジャン
助監督/編集:瀬戸桃子
公式サイト
http://www.uplink.co.jp/kakunokizu/
【映画解説より】
2012年に95歳となった肥田舜太郎医師は、自身の広島での被爆体験と被爆治療にあたった経験を元に
低線量被曝、内部被曝についての講演を日本全国で重ねている。
映画の中で肥田医師は、直接被爆していない人々も、ただ体がだるいといった原因不明の症状を発症していくことの疑問を
戦後30年経った1970年代にやっと理解できるようになったと語る。
その理解の元となるのは、アメリカの原発製造会社ウェスティングハウス社に勤めていたスターングラス博士が低線量被曝についての実態を研究した著書『低レベル放射能』である。
スターングラス博士は、原発からは平常の運転時でさえ放射能が漏れていて、その地域の癌の発症率が高いというデータを挙げており、原爆投下後の調査でも低線量被曝の影響をアメリカは意図的に隠してきたと憤る。
2006年にフランス人のマーク・プティジャン監督が描いた本作は、日米両政府が被爆者の実態を隠してきたことを明らかにし、原爆投下から67年経ち、福島原発事故が起こった後でも、日本政府の対応がなんら変わっていないことを訴えるドキュメンタリーである。
第2826回 General Contract
February 27, 2012 § Leave a comment
ゼネコンとは
General Contract
=一括請負契約、の略
建設や土木だけでなくあらゆる業界において
このゼネコン的経済システム=元請け下請け構造
が大なり小なり存在する
国民全員から徴収したお金を
一旦中央に集めて
それを分配し下に流していくピラミッド構造である
このシステムは、社会主義的な方向性の場合は
多少のメリットもあるが
自由主義的、資本主義的システムで運用すると
強い者に富が集中し
下層の者や組織には全く富が行き渡らなくなる
ゼネコン型の経済システムは
もはや脱却する時期にきている
第2825回 Diversity
February 26, 2012 § Leave a comment
311以降の反原発デモでは
左翼系、市民団体、組合、右翼、クラブ系、エコ系、政治団体など
普段は決して交わらないであろう、思想を異にする人々が
反原発という点でのみ思いを共有し
同じ場所でデモに参加している
これは、日本の歴史において初めて実現した
「イデオロギーの違いを認め合った共存の場」なのではないかと思う
多様性を前提とすることが、現代の社会の必須条件だ
思想やイデオロギー、宗教や民族の違いを認め合った社会が
反原発デモで初めて出現したのは、一つの僥倖だと思う
第2824回 Invisible Bomb
February 25, 2012 § Leave a comment
著者は子供を持つ主婦と会社員の男性
この作品はブログ公開とともに大きな反響を呼び
このたび絵本となった
第2823回 Disclosure
February 24, 2012 § Leave a comment
ドイツZDFテレビがフクシマの警戒区域に潜入し
GEのエンジニアにインタビューを行った番組
「フクシマの嘘」
GEのエンジニア、ケイ・スガオカ氏による証言
「フクシマ第一原発は、これまでも何度も重大なトラブルを起こしていた」
第2822回 Symbiosis
February 23, 2012 § Leave a comment
原発を巡る論争、対立、分裂
その根元にあるものは
「いのち」からの距離なのだと思う
「いのち」とは
太陽であり、空気であり、水であり
植物や動物であり、自然全てであり
それらは全て無償であり、占有されたり
ランク付けをして評価されることはない
「いのち」からの距離が遠い人、遠すぎる人は
世界を数字、物質、経済の物差しでしか測れなくなってしまっている
世間的にエライとされている人は
「いのち」からの距離が遠い人が多い
そしてそれは、種としての大きな危機でもある